日系社会の蘇生 - 大臣たちの行列 リドレス交渉は5年にわたり、2つの政権と連続して5人の多文化主義担当大臣を相手に繰り返されました。 1984年6月、デビッド・コルネット大臣は自由党政府を代表して、戦中戦後の日系人に対する処遇を遺憾とし、人種差別と闘うために5百万ドルの基金を申し出ました。 1984年12月15日、政府とNAJCとの間でリドレス交渉が合意に達したという共同声明が、当時の多文化主義担当大臣ジャック・ムータから発表されました。 1985年1月、ムータ氏はNAJCと交渉するという前言をひるがえし、日系人への補償金は拒否するが、代わりに日系人に対する不正な取り扱いを「記念」するために6百万ドルの基金を提供すると述べました。 1985年8月から1986年7月:前任のムータ氏に替わったオットー・ジェリネック大臣も交渉を拒否しました。代わりに、彼はムータ氏の提案に固執しました。1986年1月、ジェリネック氏は他の団体と交渉すると脅しましたが、NAJCやメディア、他のカナダ人団体などに反対され取り下げました。ジェリネック氏は1985年5月に政府に提出したリドレス提案書の検討を拒否し、NAJCとの交渉を拒否しました。 1986年7月から1988年3月:デビッド・クロンビー氏が次の多文化主義担当大臣となりました。8ヶ月にわたるリドレス問題の調査の結果、クロンビー氏は書面により、NAJCに1千2百万ドルのコミュニティ基金を申し出るが、交渉は拒否すると通達してきました。NAJCは、この「これが最後で最終だ」という申し出を拒否し、話し合いは暗礁に乗り上げました。 1988年4月:ジェリー・ウィナー大臣が5人目の担当大臣となり、リドレスと取り組みました。 ジャック・ムータ大臣 1984年11月、NAJC評議員とジャック・ムータ大臣の政府補佐官による歴史的会談〈写真提供:NAJC) オットー・ジェリネック大臣 1986年1月、アート・ミキとジェリネック氏との会談(写真提供:ブライス・カンバラ) デビッド・クロンビー大臣 1987年1月、クロンビー氏とバンクーバーJCCAリドレス委員会の会談(写真提供:トニー・タマヨセ) << 前ページへ